広尾「au deco(オ・デコ)」で思い出す、ロマンチックフレンチの快楽 | 山脇りこの「行かねば損する東京のビストロ」
ビストロってなんだろ? フランスで言うところの、気楽に食べて飲める、日常づかいのお店。語源はパリにいたロシア人が「ビストロ(早く!)」と言って、料理を急がせたからという説も……。肩ひじ張らずに、食べて飲んで、幸せになる、そんな東京のビストロを、ヴァンナチュール好きの料理家、山脇りこさんがご紹介します。
じわじわと引き込まれる料理
通りから店をのぞくと、物語が始まりそうな予感。
女性をそっと絶妙にエスコートしてくれる。たとえオチがない話でも、じっと優しく聞いてくれる。嫌なことがあってもごきげんにしてくれる。人懐っこいのに、厚かましくない。ギラギラとは真逆の、モテるオーラがあって、引き込まれるな、といつも思う。
え? 誰のことか? 「au deco」の掛川哲司シェフのことデス。料理と関係ないじゃんと言われるかもしれない。いやいや、これが深い関係があるのです。
「食器はどうしよう?」と話し合っているうちにたどり着いたという、老舗中の老舗の皿、そしてカトラリーも。
「au deco」に入ると、ふわっとする。シェフのガツガツしていない、爽やかな色気が店全体を包んでいて、なんとも、そう、ロマンチックなのだ。スタッフの笑顔に迎えられた瞬間に、もう大方のゲストは心許してしまうと思う。
この日は、カウンターの席に着くと、ぱっと春の花が咲いたような華やかで品のあるローゼンタールの皿が迎えてくれた。うふふ、だ。きっとまだ日が浅い恋人のエスコートでこの席についたら、もっともっとテンション上がるな、と、長年連れ添う相方と行った私はひそかに思う。隣の席の若きカップルの女子が、多分彼からもらった小さな花束をその皿にのせて、写真をとっている。なんだかキュンとする。
美しく伝統的なフレンチ? いや、それだけではないのだ。
で、メニューだ。嬉しいことに、アラカルトがとても充実している。その日の気分で、好きなだけ好きなものを。あくまでもゲストファーストなのだ。掛川シェフの思いを感じる。
前菜に選んだのは、走りのホワイトアスパラガス。太っちょの白アスパラにオランデーズソースという昔ながらの組み合わせには、食欲をかき立てる程よい焼き目、プロシュット、細く香ばしきオレンジピールが添えられている。このオレンジピールが曲者だ。何度も食べている料理の安心感と、わくわくのバランスがとてもいい。
あん肝もあえての強すぎない味。プレッセにすることで、複雑に。
あん肝とシマ海老のプレッセには、バナナが潜ませてある。ほんのり、しかし確かな存在感。なんとも官能的。ぐっと強引な乱暴さはなく、じっくり心を手繰りよせられ、いつのまにか、引きこまれる。シェフの魅力そのままじゃないですか?
食材+腕=料理ではない。料理にはシェフの魅力がそのまま出る。人柄や思考までも、モテるオーラも。当たり前じゃないですか?
モテる男は、持っている!
客の目の前で自ら盛り付ける掛川シェフ。
掛川シェフといえば、2013年の鮮烈なデビューは「Ata」だった。店に入ると、シェフが立つカウンターがあり、笑顔で迎えられる。奥には数席のテーブルが並ぶ、爽やかで軽やかなビストロ。夜遅く食べてももたれない、シンプルに野菜や魚介が味わえる。しかも、アイオリソースなどに確かな腕を感じる、ありそうでなかったフレンチは、あっという間に予約が取れない人気の店になった。
当時、レストラン不毛地帯だった代官山(あくまで、代官山に仕事場がある私の勝手な感想です……)。こんな店があったらなー、という夢がかなった「Ata」の出現は「事件だった」と言ってもいい。
ここから快進撃が始まる。2017年には恵比寿に「グッドラックカリー」、2018年には東京ミッドタウン日比谷に「Varmen」、渋谷の「ホテル コエ トーキョー」の1階にあるカフェレストランのプロデュースもこなす。もはや時の人、東京をけん引するシェフのひとりだ。
「僕はとにかく料理をしたい、作りたいんです。それはカレーでも、カフェでも、フレンチでも。すごく楽しい。だから全部、やりがいがあります」
そんな掛川シェフが、今、毎日立つ厨房が、2019年3月にオープンしたここ「au deco」なのだ。ここで、これまでとは違う(ように見える)伝統的なフレンチ、古典と言ってもいい皿を生み出している。
瞬間に現れる風味を感じてもらうため、焼き立てを目の前でカットしてくれる。
なぜ、あえての古典? 伝統なのか? 聞いてみた。
「必要だと思ったんです。実は、勝又シェフの料理を久しぶりに食べたときに、あらためて衝撃を受けて。ああ、こういう料理を作ってつながなければならないと思いました。絶対に“必要”だ、と」
勝又シェフとは、日本で最初の本格的なオーベルジュ「オー・ミラドー」を開いた勝又登シェフのこと。掛川シェフの師匠だ。1970年代、大半の人は「フランス料理といえば、グラタン?」くらいしか知らなかった頃、フランスから帰国し、伝説のビストロをつくった日本のフレンチの巨人だ。もちろん、ビストロが何かもみんな知らない頃のこと。いちばんフレンチらしい店、それが東京・西麻布の「ビストロ・ド・ラ・シテ」だった、とよくグルメな先輩方から聞かされた。ざわめきが伝播するように、評判がエコーをともなって響きわたるように、静かなるビストロブームを巻き起こしたという。
「僕らは、勝又シェフから直接、手取り、足取りというか、厳しく、仕込まれた最後の世代なんです。僕らがつながなかったら、途絶えてしまう、と思いました」
かつて料理人が怒鳴ったり、時に殴ったりしながら、深い愛と情熱をこめて弟子に料理と生き様をぶつけ、弟子は泣きながらもそれにこたえていた時代があった。パワハラなんて言葉さえもなかった、その最後の世代。かくして、40歳を迎え、掛川シェフは「au deco」を開いた。
「でも、懐かしいって感じられるだけではだめだと思うんです。あれ、おや? 新しい? と感じてもらえるところも大事にしたい」
デザートはプリンに。ビネガーが隠し味だというキャラメルは、鏡面のような美しさで、深いコクがある。滑らかな肌なのに、濃厚な卵感。
それはスペシャリテにも表れている。「タラバガニとカニ味噌スクランブルエッグのパイ包み焼き」は、焼き立てを目の前でカットしてくれる。ソースに入ったたっぷりの粒マスタードが、パイやスクランブルの食感と交差して楽しい。重たくなりがちなパイ料理にリズムがつく。
ビストロって、ドラマが始まり、集まるところだと思うから
「ヴァン・ジョーヌ」はジュラ地方でのみ造られる、その名のとおり、黄色ワイン? 独特な造り方で、複雑な味わいに。
「au deco」は、広尾と恵比寿の間、喧騒から離れた落ち着いたエリアにある。名だたるフレンチレストランが半経1キロ以内に指折り数えれば両手分はある、激戦区だ。
掛川シェフに、ここはビストロ? と聞いてみたら、うーん、としばらく考えて、「フレンチレストランです」と言われた。
店名はオデコ? それとも?
しかし、それでも、イカソン(行かねば損する)な東京のビストロとして紹介したいと思った。シックな雰囲気の中、20年超えのワインの話などを聞きながら、伝統的だけど新しいエッセンスのある料理を、その日の気分に合わせて選べる、食べられる。かつてフレンチの巨人たちが礎を築いた伝統的なビストロキュイジーヌが忘れられそうな今だからこそ、イカソンビストロだと思った。
なにより、ドラマが始まりそうな、ロマンチックさがある。そこには、掛川シェフのフレンチへの憧憬があるんじゃないだろうか。
山脇りこ
料理家。東京・代官山で料理教室「リコズキッチン」を主宰。雑誌、テレビ、ラジオなどでも活躍中。「グルマン世界料理本大賞2014」で「昆布レシピ95」がグランプリ受賞。「明日から、料理上手」(小学館)、「いとしの自家製」(ぴあ)など著書多数。旅好きで、美味しいものがあると聞けば、どんなに遠くてもでかけていく、食いしん坊。http://rikoskitchen.com/
au decoオデコ
- 住所:
- 東京都渋谷区恵比寿2-23-3
- TEL:
- 03-6721-9218
- アクセス:
- 東京メトロ日比谷線広尾駅2番出口より徒歩7分
- 営業時間:
- 18:00〜23:00
- 定休日:
- 日曜日
- URL:
- https://www.facebook.com/kakegawachef/
更新: 2020年3月19日
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