老舗居酒屋の温故知新 湯島「シンスケ」|マッキー牧元の「行かねば損する東京の和食」
1年間の外食数は600軒以上。高級店からB級までをくまなく知り尽くすタベアルキスト、マッキー牧元さん。食べ歩きのプロ中のプロに、今行くべき東京の和食店を教えてもらいます。
大正14年創業の日本を代表する「居酒屋」
店頭に下げられた酒林横の看板に明かりが灯った。午後5時。「シンスケ」の開店である。
縄のれんをくぐる。曇りガラスに「シンスケ」と透かした腰板引戸を開ければ、「いらっしゃいませ」と、声がかかる。
創業大正14年の「シンスケ」は、学者や文士などの粋人たちに、長く愛されてきた。東京を、いや日本を代表する「居酒屋」である。
常連を引きつける「律儀」な姿勢
店名の前に「正一合(しょういちごう)の店 シンスケ」とあるのは、7勺や8勺しか徳利に入れないで出す店が多かった大正時代にあって、日本酒を正しく一合、正確に量り売りしてお出ししていますよと、うたっていた名残である。
そんな商いの律儀さは、店内にも凛と漂い、店に入った瞬間に背が正される。客の九割が年配の常連客で、酔いすぎることなく、大声を出すこともなく、整然と飲んでいる。
1階はヒノキの一枚板が、真直ぐに伸びた、小気味のいいカウンター席とテーブル席で、カウンターの中には三代目と四代目が立たれている。三代目は、半纏姿に鳶頭のような細い捩り鉢巻きをして、燗をつける。
日本酒選びも独自の目線で
酒は創業来、秋田の「両関」一筋で、辛口の本醸造、やや甘口の純米酒、10月から4月限定の心地よい香りを伴うたる酒という3種類である。
飲み方は、熱燗、ふつう燗、ぬる燗、常温、ちょい冷、氷を入れた「桶(おけ)」の中でキンと冷やした氷冷かを楽しめる。こんなに細かく温度帯を分けているのもここだけだろう。
そんな心配りのひとつとして、最近「半代わりの常温杯」が登場した。説明書きにはこうある。(呑み納め一杯として、湯せんの熱燗を待つ間のつなぎにどうぞ。「カラオケ30分延長」と同じです)。
最初からこれを頼まないでくださいと書くのではなく、「カラオケ30分延長」とは、実に愉快で粋である。お客さんの立場に立った心配り、もてなしとは、こうした細部に宿る。
美しい飲み方を心得た客
「シンスケ」では、なんとしてもカウンターに座りたい。できれば一人で出かけて、泰然自若として、過ごしたい。カウンターには、そんな一人客が多い。一同、手元を乱雑にせず、スカッと粋に飲む。酒や肴の頼むタイミングや、酒の進め方、切り上げ方が、ピタリと決まっている。すべてにすっきりとした「シンスケ」の美学に沿う、さりげない行為が、なんとも心地よい。この空間を守り、愉しむことを心得た仕草なのである。
酒呑みの心を掴む肴
さて肴は何を頼もうか。まずは吟味された質の高い旬の刺身類だな。
「刺身盛り合わせ3種をいただけますか?」と頼むと、四代目が答えた。
「基本はマグロ、タイ、タコの紅白3種盛りになりますが。」
「タイを〆鯖に変えていただけますか?」
「かしこまりました」
最初はビールといく。シュポンッ。四代目がビールの栓を抜く。その勢いのよい仕草が、音が、心地よい。よく冷やされた薄張りのグラスは、ビールを美味しく飲むための特注である。
カウンターの正面上に張りだされた白紙短冊の品書きは、代々受け継がれてきたもので、いずれも酒飲みのツボを心得た肴ばかりである。
吟味された質の高い旬の刺身類、江戸前肴の定番「ぬた」は、かじきマグロや赤貝、大間のクロマグロ、あるいはネギだけのねぎぬたにも仕立ててくれる。酢味噌の配合が絶妙で、奥深い。
深川鍋は、むき身あさりと三つ葉、豆腐の鍋。出汁に溶け込んだあさりの滋味で酒が進む。ふわりと甘い、「エビのしんじょ揚げ」、揚げた巻き湯葉に染みた「野菜の炊き合わせ」、なんとも味が綺麗な「塩辛」、大根に味が染み入った「かすべと大根の煮物」もいい。
珍しいのは、「きつねラクレット」という料理で、油揚の中にラクレットチーズと小ねぎを詰め、網焼きしたものである。ちょいと醤油をたらして食べると塩梅が良く、チーズの旨みと油揚げのコクが相まって、燗酒にもよく合う。
ある時、スイス人の常連客からラクレットの塊をもらい、その日にたまたまいなり寿司を作る用意の油揚げがあったので、詰めて焼いたら、「こりゃあいける」となったのだという。
老舗とはいえど、こうした進取の姿勢もあるところも、「シンスケ」らしさといっていいだろう。
未来を見据える四代目の「居酒屋」
その精神は、四代目の矢部直治さんが受け継ぎ、少しずつ新しいメニューが増えてきた。たとえば「鶏もつのウースターソース煮・酒蒸し根深ねぎ添え」である。料理自体は居酒屋でよく見かけるが、一口食べて目を丸くした。
なんとエレガントな味なのだろう。レバーがフォアグラのようになめらかで、甘く、ソースの甘みと馴染んでいる。レバー臭さは微塵もなく、微かに漂うカレー香に、胸躍る。聞けば、レバーをコンフィ(低温油煮)にしているのだという。しかも食感の違いが楽しめるように、レバーだけでなくハツも入っている。ピンクペッパーを散らし、カレー粉を少量入れて、食感と香りのアクセントをつけて、食べ飽きない工夫がされている。
「これ見よがしに、新しく変えることには違和感があります。先代までが積み重ねた仕事を整え、異物な部分があれば正し、足りない部分があれば上乗せするのが次世代の仕事だと思っています」と、四代目は語る。
「オーガニックほうれん草胡麻和え」は、海外やベジタリアンのお客さんが増えてきたので、胡麻和えのゴマだれから砂糖、鰹出汁、みりんを外し、メープルシロップと水がベースにされている。
「シンスケ風メンチカツ」を頼めば、ひき肉だけではない凛々しい食感が時折現れて、思わず顔が崩れる。豚顔肉を燻製にした沖縄料理のカオチラガーを参考にして、鰹節で燻製にした肩ロースの塊肉をひき肉の中に混ぜ込んでいるのだという。
「椎茸のマリネサラダ」を頼めば、肉厚の椎茸がオイルと抱き合いながら、滑らかに舌の上に滑り込む。うっとりと鳴るその味わいは、グレープシードオイルと醤油漬けした玉ねぎを合わせて泡だて、そこにあえて分離するようにグレープシードオイルを加え、オイルの緑の香りを効かせてある。
「漬けマグロの深雪仕立て」は、とろろ芋の食感が苦手な外国人に絶対完食させる挑戦状として考案された肴である。山芋でマッシュポテトを作り、生の黒胡椒を添えた漬けマグロの薄切りで包むという新感覚の山かけは、酒が恋しくなる逸品である。
伝統を守る、老舗の味を引き継いでいくということは、かたくなに安住することではない。移り変わる世間を読み、変えない決意と変える勇気のバランスをとりながら、温故知新を考え続けることなのかもしれない。
これまでも、これからも「シンスケ」の楽しみは続いていく。そして僕は、通い続ける。
マッキー牧元
1955年東京出身。㈱味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。日本国内、海外を、年間600食ほど食べ歩き、雑誌、テレビなどで食情報を発信。「味の手帖」「朝日新聞WEB」「料理王国」「食楽」他連載多数。三越日本橋街大学講師、日本鍋奉行協会顧問。最新刊は「出世酒場」集英社刊。
シンスケ
- 住所:
- 東京都文京区湯島3-31-5 YUSHIMA3315ビル1F・2F
- TEL:
- 03-3832-0469
- アクセス:
- 東京メトロ千代田線湯島駅3番出口より徒歩2分
- 営業時間:
- 17:00~21:00(L.O.)、17:00~20:00(L.O.)
- 定休日:
- 日曜・祝日
- 支払い方法:
- カード不可
更新: 2019年1月19日
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