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TOKYO ELITE RESTAURANTー世界に自慢したいシェフ
|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ[2]|
風土と歴史とイタリア料理の関係性

イタリア料理とは何かと言われれば、パスタにピッツァ、いやいや郷土料理の集合体で1つには括れない、というやや難解なお話も。ここでは、イタリア料理ができてきた背景について、主に風土と歴史という2つの側面から、その関係性を、食文化を伝えるフードコミュニケーターとして活躍する柴田香織さんに紐解いてもらいました。

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世界ーの美食の街と謳われる、食都「TOKYO」。ミシュランガイドの星の数においては世界最多を覆得し、その実力を世界に知らしめました。ここ東京は、美食家たちを魅了するワールドクラスの実力店が犇めき合っているのです。その中でも、グルメシーンの最前線を雄飛する、選りすぐりの精饒シェフたちの存在。そんな店の作り手でもある、凄腕の料理人たちが腕を振るう飲食店のことを、私たちは「東京エリートレストラン」と、敬意をもって名付けることにしました。本特集は、そのようなシェフたちを、自信を持って世界に自慢したいという思いから生まれました。その第2弾としてイタリア料理の名シェフたちをご紹介し、改めてその魅力をお伝えしたいと思います。

料理の裏側にある背景を紐解く

Photo:Claudio Divizia / Shutterstock.com

風土と歴史とイタリア料理の関係性
地中海に突き出し、長靴によく喩えられるイタリア半島は、1861年に国家として統一された。それまでは、日本の戦国時代のように、実力ある都市国家がしのぎを削った時代が長かった。それぞれが国という意識を持ち、我が土地、我が料理こそ王道である、の考えは、カンパニリズモ(郷土主義)と呼ばれ、今なおイタリア人の精神的な土壌となっている。南北に長い国土では、育つ動植物も食材も料理も、一様にとはいかなかったのだ。

 

寒さに打ち勝つ、動物性の北の料理
温かいイメージのあるイタリアだが、北部はさにあらず。フランスやスイス、オーストリアといった国々との国境は、アルプス山脈がそびえ、秋から冬にかけては深い霧が発生する、冬の寒さ厳しいエリアだ。そのため、冬の寒さを凌ぐ、滋養に満ちたカロリーの高い動物性の食事が食文化のベースをなしてきた。冬に備え、秋になると家畜を潰し、生ハムやサラミにして発酵させる技術は、北に秀逸なものが多い。フリウリ地方のサン・ダニエーレ、エミリア=ロマーニャ州のパルマなど、生ハムの名産地やサラミの名品は、北イタリア産に有名なものが多い。山岳部は、牛の餌になる牧草がよく育ち、酪農も盛んで、オーストリアとの国境、アルト・アディジェ地方は、乳製品の品質が高いことで有名だ。イタリアというとオリーブオイルばかり使うイメージかもしれないが、北部はオリーブが育つ場所も少なく、油は動物性油脂を使った料理が中心で、バターの他に豚の背脂、ラードもよく使う。例えばパルマでは、生ハムのお伴に、ラードで揚げたパンとバターという見事なハイカロリーセットも。これがリッチで美味しいのだ。

地中海式ダイエットの見本、南の料理
対する南イタリアは、1年を通じて温かく、海、畑、山と食材は豊かだ。食材の鮮度を生かしたシンプルな料理が多く、トマトしか使っていないトマトソースの美味しさに驚くこともしばしばだ。保存食の特色は乾燥食材にあり、シチリア島のドライトマトや、サルデーニャ島のボッタルガ(ボラのカラスミ)、プーリア州の乾燥空豆、後に述べる乾燥パスタなど、乾燥した気候を生かした食文化であることがわかる。また、乾燥した土壌は牧草が育ちにくいため、家畜は、暑さや乾燥に強く、牧草をあまり必要としない羊が中心。北が牛乳のチーズが多いのに対し、南は羊乳のチーズが多いのはそのためだ。オリーブオイルをベースに、たっぷりの野菜、魚や肉をほどよく食す食事法は、地中海式ダイエットと呼ばれ、健康的食事法の1つとして、今も研究されている。以上、イタリア南北の気候風土が、農産物に与えた影響を対比したが、北と南で大きく傾向の違う、もう1つの重要な食材が小麦とパスタ文化だ。

北の生パスタ、南の乾燥パスタ
イタリア料理の象徴とも言えるパスタは、ソフトな食感の生パスタ、モチモチした歯ごたえのある乾燥パスタ、それぞれに魅力がある。実はこの2つ、製造方法が違うだけではなく、小麦の種類も違う。軟質小麦は、北から中部にかけて栽培され、粒は柔らかくタンパク質が少ない。機械で捏ねても弾力に欠けるので、卵を加えてコシを補い、手作業でパスタにする。卵の分量が多いほど贅沢と言われ、有名なのがエミリア=ロマーニャ州だ。軟質小麦が優勢なのはラツィオ州までで、それより南は、硬質小麦産地で、乾燥パスタの存在が目立ってくる。硬質小麦は、粒が硬く、粘りの元となるタンパク質のグルテンが多い。まとまりやすく、機械成形して保存可能だ。硬質小麦の手打ちパスタは、今も存在するが、保存できず力も要するので、次第に機械化が発達し、18世紀には、ナポリ周辺が乾燥パスタの中心地となった。当時は天日でパスタを乾燥させたので、太陽やアペニン山脈からの風が、乾燥に功を奏したのだ。現在のパスタは、衛生上という理由で、機械乾燥が義務づけられ、大規模産業化したが、2000年頃から、手工業に近い形で製造する乾燥パスタが、再注目されている。ナポリ近郊のグラニャーノには、今も小規模なパスタ工場があり、時間をかけて低温長時間乾燥させるので、小麦の風味が損なわれず、世界から高く評価されている。手打ちパスタは、現在のイタリア家庭では、乾燥パスタに凌駕されつつあるが、かつては、パスタ上手の女性はコミュニティでも評判で、手打ちパスタ圏のレストランでは、パスタ番の女性がいまだ健在なところもある。

(左)軟質小麦で作られる手打ち生パスタを使ったエミリア=ロマーニャ州の名物「タリアテッレ・アル・ラグー」(右)硬質小麦で作られる乾燥パスタを使ったカンパーニァ州の名物「プッタネスカ」。娼婦風のパスタとも呼ばれる

イタリアの気候風土と食材の関係

 

 

牛と羊の境界線

 

 

油脂の境界線

※スペイン支配時代の影響で南部でもラードを使用する州もある

 

 

軟質小麦と硬質小麦の境界線

イタリア料理はいつから?
これまで、イタリアの気候風土と食材の関係を見てきたが、ここからは、歴史がイタリア料理に与えた影響を考えてみたい。イタリア半島に、イタリア料理らしさの片鱗が現れるのは、古代の南イタリアに遡る。南イタリアは、気候が温暖で農耕地としても恵まれ、海の交易拠点としても、魅力的な立地だった。そのため、多くの民族の狙う場所となった歴史がある。古代の文化先進国、ギリシャの人々は、今のカラブリア州やプーリア州、そしてシチリア島に植民し、オリーブオイル、チーズ、ワインの製造法を伝え、イタリア料理の原型作りに貢献している。ローマ帝国時代になると、ローマは、北アフリカのカルタゴと地中海の覇権を争った。約100年のポエニ戦争を行った結果、ローマ帝国が獲得したのが、シチリアとサルデーニャ島で、その狙いは硬質小麦産地の獲得だった。ローマ人は、農耕民族で、豆、野菜を中心、たまに魚を食していたが、ここにパンが加わった。その頃、ローマ人を悩ませたのが北方のゲルマン民族の侵攻だ。彼らは狩猟民族で肉を主食としたため、ローマ人は、肉を野蛮な食べ物と考えていた。しかし、ローマ帝国が次第に弱体化して、476年に西ローマ帝国が崩壊すると、それまで拒んできた肉食は、強さの象徴になった。ローマ的野菜と魚食にゲルマン的肉食が加わり、今のイタリア料理の形にさらに近づいたのだ。

 

(左)米のコロッケ、「アランチーニ」(右)フェンネル、松の実等を使う「パスタ・コン・サルデ」

戦争の中で育まれた、料理の独自性
中世になると、イタリアは都市国家の時代を迎える。中世のイタリアの食を変えたのが、シチリア島を支配したアラブ人だ。アラブ人は、9世紀から11世紀にかけて、米、サトウキビ、アーモンド、オレンジ、レモン、サフランなどを、シチリア経由でイタリア本土に伝えた。時の貴族達は、珍しい食材として料理に積極的に取り入れた。シチリア島には、今も米のコロッケ「アランチーニ」や、エキゾチックな風味の「パスタ・コン・サルデ」などの郷土料理があるが、いずれもアラブの食文化の下に生まれたものだ。15世紀後半になると、台頭してきたのが、ヨーロッパ列強と言わる絶対王政の国々で、彼らは、香辛料の獲得のため海外に進出した。香辛料は、その薬効が貴族達に尊ばれ、いかにたくさん使うかが貴族料理のステイタスとされたのだ。しかし、イタリアの都市国家は、争いで弱体化し、スペインの領土拡大に巻き込まれてしまう。そこでも大きな食の変化が起こった。この時代、スペインが南米大陸から運び込んだ食材がイタリアにも流入したのだ。唐辛子、ジャガイモ、ナス、インゲン豆、トウモロコシ、カカオ、トマトは、この時代にイタリアにもたらされた。トマトは最初、毒があると言われて観賞用だったが、100年以上かけて食用になり、トマトソースと当時工業化しつつあった乾燥パスタの組み合わせが爆発的なヒットとなった。イタリア料理として誰もが思い浮かべるトマトソースのパスタが定番となり、今のイタリア料理の食材がおおよそ揃ったのは、実に18世紀のことだ。

家庭料理に見る、イタリア料理の力
このように、イタリア料理のターニングポイントは、他民族の侵入や戦争であり、イタリア料理は、外部民族との接触でもたらされた食材を、時間をかけて自分たちのものにしてきた結果、という見方ができる。その料理の作り手は、貴族社会ではおかかえ料理人だったが、庶民の食卓を司ってきたのが女性、マンマたちだ。イタリアは、マンマ料理が美味しいとよく言われるが、実際に家庭料理のレベルは高い。その土地の限られた食材で時間かけ、工夫をこらした家庭料理が今も魅力を放っている。その背景の1つは、カトリック教会の存在だろう。バチカンというカトリックの総本山はイタリア半島にあり、女性の貞操観念や、母たる役割を厳しく重んじてきた。南に行くほど、その傾向は色濃く、女性の大きな務めは、家族のために料理を作ることだった。手打ちパスタは女性の勲章のような存在で、カラブリア州では15種類の手打ちパスタが作れないと嫁に行けないと言われたほど。料理は、家族の帰巣本能を支え、家族をまとめる重要な役割を果たした。それが、イタリア名物?マンモーニ(マザコン男性)の温床を作ってきたとも言われる。イタリアは、国家として統一されるまで、都市国家間の領土抗争や、海からの侵略も絶えなかったことが、これまで見てきた歴史でわかったかと思う。食卓は、家族や近隣の人々との絆を深めるだけでなく、自分自身の存在を確認する大切な場であったのだろう。イタリア人は、長い歴史の中で、皿の上にアイデンティティを見てきた民族なのではないだろうか。イタリア料理の皿からは、歴史と風土、そして母の知恵を想うことができる。この料理がなぜ存在するのか?その答えがあるのがイタリア料理らしさなのだ。

Text:柴田香織

※こちらの記事は2015年11月20日発行『メトロミニッツ』No.157掲載された情報です。

柴田香織さん

柴田香織さん

PROFILE
イタリアのスローフード協会が設立した食科学大学(Universita’degliStudidiScienzeGastronomiche)の初年度修士課程修了生。帰国後は食教育、地域六次化事業のコーディネート、雑誌「料理通信」「dancyu」での執筆、百貨店の食品ディレクションなど食のコミュニケーション分野で活動中。

更新: 2016年9月20日

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