SPECIAL

食と暮らしを豊かにする特集記事はこちらです

TOKYO ELITE RESTAURANT|世界に自慢したいシェフ

|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ[12]|
時代を切り開いた立役者たち
ー2000年代ー

日本のイタリア料理のはじまりは明治時代まで遡ることはできますが、大きく動き始めたのは、まだここ30年くらいでしょう。月日としては浅いかも知れません。でもそれは、おいしいイタリア料理を私たちに伝えようとしてくれたシェフたちの熱くて濃い情熱の歴史でもあります。そんな歴史をイタリアの食文化に精通する河合寛子さんと土田美登世さんに振り返っていただきます。

|2000年代|個性豊かなスタイルが 百花繚乱

「イル・ギオットーネ」笹島保弘さん

「日本」「和」を意識したイタリア料理が芽生えた90年代ですが、それはあくまでも東京中心のムーブメントでした。2000年代は、さらに地方に広がっていったように思います。その先陣をきったシェフのひとりが京都、そして東京・丸の内に「イル・ギオットーネ」を展開する笹島保弘さんでしょう。イタリアには20州それぞれに特徴的な食材、調理法がありますが、笹島さんはその延長として「京都はイタリア21番目の州」だと考えました。地元である京都を核とし、まるで同心円を描くように発想を広げて、昆布だしでパスタをゆでたり、柚子で香りをつけたり、骨切りにした鱧と松茸をスパゲッティに絡めたりしました。結果、それもイタリア料理の個性だと、海外でも評価を得たのです。

シェフが住む地元を核にする――笹島さんの京都に続いたわけではないでしょうが、山形「アル・ケッチャーノ」の奥田政行さん、青森「オステリアエノテカ ダ・サスィーノ」の笹森通彰さん、和歌山「ヴィラ・アイーダ」の小林寛司さんたちは、地元の食材を使ってそれぞれの考え方でその土地ならではの個性的なイタリア料理を展開しています。我々が忘れがちなごく当たり前の「新鮮でおいしい食材は地方にある」ということに気づいて地方に向かうシェフたちは、これからも増えていくかも知れません。

さらに地方発は日本の生産者を大切にするという考え方にもつながります。門前仲町「パッソ・ア・パッソ」の有馬邦明さんは各地の生産者を訪ねることがライフワーク。使う食材はほぼ日本のものです。特にジビエ料理に定評がある有馬さんは、命を大切にし、生産者の思いを皿に込めることを使命に日々キッチンに立ちます。修業先がイタリアだったのでイタリア料理になるのでしょうが、彼にはジャンルなど関係ないのだと思います。そしてまた、そういう考えのイタリア料理人が少なからず登場し、のびのびと自分の尺度で料理を作る時代になりました。

「パッソ・ア・パッソ」有馬邦明さん

「ドンチッチョ」石川勉さん

日本というキーワードの一方で頑なに本場イタリアの、それも特定のエリアを伝え続けているシェフももちろんいます。たとえば青山「ドンチッチョ」の石川勉さん。テーマはシチリア、これ一本!シチリアのトラットリアそのものでしょう。そんな本場パワーを放つこの店のスタイルに憧れを抱くシェフたちも多く、実際シチリア料理だけではなく、イタリアの地方に特化したトラットリアやリストランテが増えてきました。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州、サルデーニャ州など少々マイナーなエリアが表に出てきたのもここ10年くらいでしょう。
イタリア食材がどこからでもいい状態で早く確実に手に入る時代になり、イタリアブームを経てもっと深いイタリアが知りたくなった人たちがいるからこそ、こうした州の料理へのニーズはごく自然な流れなのかも知れません。

しかし同時にここ10年、ガストロノミーの世界はもっと複雑な方向へ向かっていました。世界最高峰と称されたスペインは「エル・ブリ」のシェフ、フェラン・アドリアの登場によって、シェフのクリエイティブがより刺激的なものへと走ったのです。イタリア料理界もその影響を受け、冷たいカルボナーラが登場したり、ホワイトアスパラガスが泡になったりしました。ただ液体窒素やアルギン酸などが登場するとイタリア料理においては少々やり過ぎ感も覚えたようで、最近では少し落ち着きを取り戻しています。とは言え、リストランテの若いシェフたちの表現はしなやかに進化を続け、「料理を再構築する」という言葉がここのところよく聞こえてきます。

「リストランテ・トクヨシ」徳吉洋二さん

若き日本人シェフたちの感性はますます輝きを増し、「リストランテ・トクヨシ」の徳吉洋二さんのようにイタリアで店を持ち、そこでも高く評価される人たちも登場してきました。

ところで、2000年代はこの「評価」というものをよく耳にする時代になったと思います。最も身近な例でいうと「食べログ」でしょうが、07年には『ミシュランガイド東京版』が上陸し、人々は星の数を話題にしました。その他02年からスタートした「世界のベストレストラン50」も毎年恒例になってきました。こうした世界的なガストロノミー界での評価を意識すれば、イタリア料理はもっと歴史や伝統の枠を飛び越えた何かを求めていくようになるのかも知れません。

「リストランテ濱﨑」濱﨑龍一さん

そこで改めて思います。ではイタリア料理とはなんだろうと。そんな時、本企画のようにイタリア料理の歴史を振り返ることで見えてくるさまざまな何かに私は安心します。
しみじみおいしいな、美しいな、癒やされるな、と思えることがレストランの喜びとすれば、「リストランテ濱﨑」の濱﨑龍一さんは、彼が修業した80年代のイタリアの伝統的な料理も踏襲しつつ、日本の食材も積極的に使って自然体でリストランテの料理を描き続けています。オープンして15年、未だ常連客に愛され、予約がいっぱいの状態を続けていることは、時代に流されずに自分なりのイタリア料理を長く表現してきた証でしょう。

一方で、世の立ち飲みブームに呼応するかのように、ここ数年、形式にとらわれずにリーズナブルにひたすらうまいイタリア料理を出そうとする店も増えてきました。カジュアルながらハイクオリティを維持する力に新しい風を感じます。
そんなに古くない時代に、まったくといっていいほどなかったイタリア料理店が、iタウンページで検索すると、今や日本で1万軒近くヒットします。郷土料理があり、伝統があり、日本発があり、モードあり。日本のイタリア料理はやはり世界一です。(土田)

河合寛子/土田美登世

フードエディター&ライター 河合寛子/土田美登世

■河合寛子/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」編集長時代には1980年代から90年代にかけての大イタリア料理ブームをプロの視点から取材してきた。確かな知識で書かれる原稿にシェフたちの信頼も厚い。イタリア料理の編書多数。
■土田美登世/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」では河合氏の部下。ともに「料理王国」創刊メンバー。『日本イタリア料理事始め堀川春子の90年』(小学校・刊)をまとめ、日本のイタリア料理の歴史を追った。

Text:土田美登世
※こちらの記事は2015年11月20日発行『メトロミニッツ』No.157に掲載された情報です。

更新: 2016年12月5日

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最後までお読みいただき、ありがとうございます

pagetop