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TOKYO ELITE RESTAURANT|世界に自慢したいシェフ

|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ[11]|
東京のイタリア料理の変遷に見る
時代を切り開いた立役者たち

日本のイタリア料理のはじまりは明治時代まで遡ることはできますが、大きく動き始めたのは、まだここ30年くらいでしょう。月日としては浅いかも知れません。でもそれは、おいしいイタリア料理を私たちに伝えようとしてくれたシェフたちの熱くて濃い情熱の歴史でもあります。そんな歴史をイタリアの食文化に精通する河合寛子さんと土田美登世さんに振り返っていただきます。

ー2000年代ー当代を代表するシェフたち

リストランテ濱崎【濱﨑龍一】

野菜を多用した美しい皿のスペシャリスト

87年に渡伊。フィレンツェのホテルや三ツ星を獲得したマントヴァの「ダルペスカト―レ」などで修業をし、洗練されたリストランテのイタリア料理に触れて、刺激を受けて帰国。数多くの名シェフを生んだ店として知られる「リストランテ山﨑」では野菜を多用した美しいイタリア料理で話題を呼んだ。01年にオープンした「リストランテ濱﨑」は料理だけではなく青山の隠れ家的な上質な雰囲気に癒やされる客多数。出身地である鹿児島県より「鹿児島食の匠」を任命され、鹿児島の食材を濱崎流の洗練された料理にまとめながら地元を応援している。

ドンチッチョ【石川勉】

シチリアの魅力を伝え続ける

84年にイタリアへ渡ったとき、映画『ゴッドファーザー』が好きだというシンプルなきっかけからシチリアへ行き、食材だけではなく気候風土、人情とシチリアのすべてが好きになる。帰国後も日本にまだ馴染みがなかったシチリアにこだわり、魚料理をメインに、シチリア産のオリーブオイル、ハーブ、柑橘類など南の島らしい素材をふんだんに使ってシチリアの味を伝えた。06年にオープンした「ドンチッチョ」では味だけではなく、シチリアの現地さながらの明るい雰囲気と快活なサービスをスタッフとともに提供。ワインもシチリア産のみ。どこまでもシチリアに着地する姿勢は郷土愛にあふれるイタリア人よりもイタリア人らしいと評される。

パッソ・ア・パッソ【有馬邦明】

生産者が一番。だから日本が軸

休みのたびに産地を訪れ、土地の空気を感じ、土に触れ、生産者の声を聞く。これが料理の第一歩だ。千葉へは米を育てに行き、ハンターについて狩猟の現場を見て、生き物の命を知る。京都に通っては日本料理も味わう。「日本人なのに日本のことをどれだけ知っているのか?」そんな疑問を抱き、その答えを探っているようでもある。料理を作る自分も客も日本人。ならばとことん日本を知って、そこで得たインスピレーションを皿に描くことで料理が完結する。02年にオープンした「パッソ・ア・パッソ」の冬の名物、ジビエづくしを味わうと、シェフのストイックなまでの日本の自然と生産者に対する尊敬の念が伝わってくる。

イル・ギオットーネ【笹島保弘】

京都発のイタリア料理を世界にも

「イル・ギオットーネ」サービスマンからのスタートだが料理の世界に惹かれて24歳でシェフを任される。イタリア料理の精神がイタリアの郷土と歴史を大切にすることならば、日本でも展開できると考え、京都を核に自分なりのイタリア料理を模索する。京都の食材を使うことはもちろん、周りにたくさんいる日本料理人からも積極的に料理技術を学んで応用する。ゆずを仕上げに振ったり、昆布だしでパスタを茹でたりするなど、彼が取り入れた和的な技法は海外のイタリア料理人にも注目された。イタリアの料理学会「イデンティタ・ゴローゼ」に日本人で初めて参加。02年の京都店に続いて05年には東京・丸の内にもオープン。東京でも京都の魅力を皿の上で伝え続けている。

河合寛子/土田美登世

フードエディター&ライター 河合寛子/土田美登世

■河合寛子/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」編集長時代には1980年代から90年代にかけての大イタリア料理ブームをプロの視点から取材してきた。確かな知識で書かれる原稿にシェフたちの信頼も厚い。イタリア料理の編書多数。
■土田美登世/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」では河合氏の部下。ともに「料理王国」創刊メンバー。『日本イタリア料理事始め堀川春子の90年』(小学校・刊)をまとめ、日本のイタリア料理の歴史を追った。

Text:土田美登世

※こちらの記事は2015年11月20日発行『メトロミニッツ』No.157に掲載された情報です。

更新: 2016年12月4日

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