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TOKYO ELITE RESTAURANT|世界に自慢したいシェフ
|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ[27]|

「世界のベスト・レストラン50」第2位に輝いた
現代イタリア料理の第一人者その視線の先に見るアイデンティティ

2015年度の「世界のベスト・レストラン50」にて、第2位となった「オステリア・フランチェスカーナ」を率いる天才料理人マッシモ・ボットゥーラ。料理を通じて世界に向けてメッセージを放ち続ける彼に、イタリア料理とは何か?そして、イタリア料理の未来を聞いた。

食の無駄をいかになくすかそれがこれからのイタリア料理だ

1962年モデナ生まれ。大学で法律を学んだ後、料理人を志し、95年に「オステリア・フランチェスカーナ」を引き継ぐ。2002年にミシュラン一ツ星、11年には三ツ星獲得。2015年度「世界のベスト・レストラン50」第2位。

Osteria Francescana
オステリア・フランチェスカーナ[イタリア・モデナ]
マッシモ・ボットゥーラシェフ

マッシモ・ボットゥーラは郷土料理に対するリスペクトが強く、コース・メニューの中にも必ず伝統的な料理に発想を得た進化形、あるいは分解料理を取り入れており、特にパスタは伝統料理を出すことが多い。革新と伝統をハイレベルで味わうことが出来る。

「5種類の異なるテクスチャーのパルミジャーノ・レッジャーノ」ボットゥーラの代名詞的存在の料理。熟成年度の異なる5種類のパルミジャーノ・レッジャーノを5種類の異なる調理法、温度、テクスチャーに仕上げている

近年イタリア料理界をリードしてきたのは、決して派閥というわけではないが、マルケージ門下生いわゆるマルケジーニといわれる料理人たちだった。当時ミラノにあった「グアルティエロ・マルケージ」が1985年イタリアに初めてミシュラン三ツ星をもたらし、華麗なる新イタリア料理「ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナ」の時代が華々しくスタートしたのだ。後にフランチャコルタに移転した「マルケージ」の下で学んだ料理人たちはことごとく頭角を現し、イタリア版料理の鉄人としてTV番組に多く出演するカルロ・クラッコはじめ数多くの料理人たちがミラノなど北イタリアを中心に活躍している。いわばイタリアのガストロノミー界イコール、マルケージ派という流れがあったのは事実である。そんな中、非マルケージ派から生まれた巨大な潮流がマッシモ・ボットゥーラだ。

「トルテッリーニ・アル・パルミジャーノ」世界一美味しいトルテッリーニと呼ばれるボットゥーラの郷土料理に対するリスペクトに満ちた料理。滑らかな手打ちパスタと濃厚なパルミジャーノ・ソースのコンビネーション

ボットゥーラは1962年に北イタリア、エミリア=ロマーニャ州のモデナに生まれた。エミリア地方は食の都として名高い街が多いが、モデナもそのひとつ。かの名高いアチェート・バルサミコ、パルミジャーノ・レッジャーノ(パルマ、モデナなどで作られる)、ランブルスコといった食材とワインはモデナの代名詞だし、オペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティもフェラーリもモデナ生まれだった。さらに隣町パルマには世界一の生ハム、プロシュート・ディ・パルマがある。またエミリア地方は手打ちパスタでも有名で、トルテッリ、トルテッリーニ、ラザーニャ、タリアテッレ、タリエリーニなど卵を使ったパスタがある。つまり、ボットゥーラが生まれ育った環境は、イタリアでも屈指の美食に囲まれた街だったのだ。大学で一度は法律家を目指したボットゥーラだが24歳で心機一転、料理人の道を志し地元のトラットリアで働き始める。伝統料理をマスターしたボットゥーラが次に目指したのはアルタ・リストラツィオーネ、つまりハイエンド・キュイジーヌの世界で、モンテカルロにあるミシュラン三ツ星、アラン・デュカスの「ルイ・キャーンズ」やスペインにあったフェラン・アドリアの「エル・ブジ」で経験を積み、95年に地元のレストラン「オステリア・フランチェスカーナ」を引き継ぐ。それまでは伝統的なオステリアだったが、ボットゥーラは自らの世界を構築し始め、02年にミシュラン一ツ星、そして11年にはミシュラン三ツ星を獲得。一気にイタリアを代表するトップ・シェフの座に上り詰めたのだった。今回、そのマッシモ・ボットゥーラに「オステリア・フランチェスカーナ」で独占インタビューした。

オステリア・フランチェスカーナ
Via della Stella,22 MODENA
+39・059・223912
日・月定休 ランチ12:30~、ディナー20:00~
コース €110~(税・サ込み)
http://www.osteriafrancescana.it

Q あなたはこの豊かなエミリア地方に生まれ、様々な郷土料理を学んだ後に、自由な発想で世界に料理を発信してきました。その発想の源とは、そしてあなたにとってイタリア料理とは何なのでしょうか?
A
まずイタリア料理とは、家庭料理=クチーナ・ファミリアーレであり、郷土料理=クチーナ・テリトリアーレです。それはつねに素材ありき。私たち料理人は素材を通して表現するしかありません。素材を重視するという点では、イタリア料理と日本料理は非常によく似ているでしょう。どちらの料理も決して素材から逃れることはできない。そしてもうひとつは、どちらの料理も非常にミニマル、つまり最小限の食材で作るシンプルな料理であるということ。北イタリアでは特にその傾向が見られ、リゾット・マンテカートなどは米、ブロード、チーズのみで作る究極的にミニマルな料理です。しかし、そのリゾットを一度口にすればその土地について、素材について、風土について、人々について饒舌に語り出すのです。

Q あなたのようなクリエイティヴな料理人にとっても素材は非常に重要なエレメントだということですね。
A
そうです。また、私はエミリア地方に生まれ育ったことも私の料理の世界に大きな影響を与えています。料理人とは地元の農家や生産者、職人たちと密接な関係を築き、他の地方の料理人たちとも連携してその地方の素材が持つ実力を最大限に発揮させなければいけないのです。

Q しかし、素材を尊重しているだけでは世界のトップには立てない。あなたのそのクリエイティヴィティの源はなんなのでしょうか?
A

料理におけるクリエイティヴィティとは、人によって持っている、持っていないという問題ではない。また、どれぐらい時間をかけるか、ということでもないので、クリエイティヴィティに時間という概念は存在しないのです。それは全て物事の見方、ヴィジョンの問題です。まず料理人にとってレシピを創造するということは、非常に知的かつクリエイティヴな行為だと自覚する必要があります。料理を食べる人について考えを巡らし、その上で料理を創造することの大切さを忘れてはいけない。「オステリア・フランチェスカーナ」では料理を口にする人にとって、その全てに芸術、記憶、音楽といった日常のエレメントを凝縮させようと日々努力しています。私たちの信じる道はそこにあり、それは情熱に支えられています。

Q 今年ミラノでは食をテーマにした万博が開催され、世界中の注目がミラノに、そしてイタリア料理に集まりました。また美食とは逆のベクトル"食の無駄をいかに無くすか"ということについても議論されました。あなたは食の無駄をなくす活動をミラノで行っているそうですが、それについて教えていただけますか?

A
これは現ローマ法王フランチェスコ1世と話したことから始まったプロジェクトです。食の無駄をなくし、恵まれない人々に食べる喜びを取り戻してあげたい。ミラノのある修道院の一部を改装し「レフェットリオ」と名付けて活動を開始しました。これは賞味期限間近の食材をスーパーマーケットから提供してもらい、調理して提供することです。この私のプロジェクトには世界中から多くの友人が賛同し、参加してくれました。アラン・デュカスは10年ぶりにフライパンを握ったと言ってくれましたし、フェラン・アドリアも来てくれました。そうしたトップ・シェフが廃棄間近の食材を使ってそのクリエイティヴィティを最大限に発揮し、料理として無償で提供することは、慈善行為ではなく、文化的行為だと考えています。私はスタッフを全員「レフェットリオ」に連れて行きましたが、そうした世界のトップ・シェフたちの指揮下に入ってともに働くことで仕事における責任感とは何か、無駄な食料の廃棄を無くすにはどうすべきか、そして料理人として大切ことを学んでいくのです。

Q つまり「レフェットリオ」とは棄食材と食の貧困を解決するだけでなく、若い料理人たちに食の無駄をなくす意識を高めることにもつながるわけですね。
A
そうです。若いうちにこうした考え方を身につけておけば決して忘れる音は無いはず。これが私が考える、食の無駄をなくすために私たち料理人ができることのひとつです。この活動はイタリアだけでなく、ニューヨーク、リマ、そして東京でも続けていこうと考えています。

料理も頭の中も10年先を行っていると言われるマッシモ・ボットゥーラだが、現在の活動「レフェットリオ」はおそらく10年先のイタリア料理のスタンダードとなっていくことだろう。現在のイタリア料理の主流はキロメトロ・ゼロ(地産地消)の料理だが、地球規模でさまざまな問題が増えてゆく将来は、さらに食の無駄をなくすことが、観念だけでなく、具体的に実行されることが不可欠になってくる。
しかし考えてみると、イタリア料理とは、中世の頃からクチーナ・ポーヴェラ(質素な料理)の思想が脈々と受け継がれ今も郷土料理の多くに見られる。これは食材を無駄にしないという発想で、フィレンツェでは固くなったパンを使ったリボッリータやパッパ・アル・ポモドーロ、ローマでは牛や羊の内臓を使ったコーダ・アッラ・ヴァッチナーラ、パイアータなどの料理が日常的に作られ、何百年にもわたって愛され続けてきた。
食の無駄をなくす大前提として料理は美味しくなければ人は口にしない、という命題がある。イタリア料理は古くからその教えを守り実行してきたが、さらにハイエンドな料理の世界においてもマッシモ・ボットゥーラのようなトップ・シェフが今度はイタリアから世界に向けて発信する。料理は言語を超えた最高のコミュニケーションだが、イタリア料理とは近い将来、まさにそうした世界的なメッセンジャーとなってゆくのではないだろうか。情熱的なマッシモ・ボットゥーラの言葉を聞きながらそう感じた。

「フランチェスカーナ」で9年間スーシェフを務めた日本人シェフがミラノで活躍中

2005年より「オステリア・フランチェスカーナ」で働き、マッシモ・ボットゥーラの右腕として信頼厚くスーシェフまで務めていた徳吉洋二さんが2015年、自らの店「TOKUYOSHI」をミラノにオープンした。

徳吉洋二さん
1977年鳥取県生まれ。2005年に渡伊、当時ミシュラン1つ星だった「オステリア・フランチェスカーナ」で働き始め、わずか1カ月でスーシェフとなる。マッシモ・ボットゥーラともに06年に二ツ星、11年に三ツ星獲得。15年2月ミラノに「リストランテTOKUYOSHI」オープン。

文化と文化がぶつかりあう 新たなイタリア料理
イタリアの名店で学んだ後、日本に帰国して店を開く料理人は多いが、独立先をイタリアに、しかもミラノを選んだ日本人料理人は前例がない。全てが話題づくめの「TOKUYOSHI」だが、そのコンセプトもまた斬新で「混成された料理」という意味の「クチーナ・イタリアーナ・コンタミナータ」だ。これは文化と文化がぶつかりあって互いに影響しあった料理のこと。イタリア料理という基本を維持しつつ、日本人ならではのアイデンティティを表現したものだ。

リストランテ トクヨシ
Via San Calocero, 3 Milano
+39・02・84254626
www.ristorantetokuyoshi.com

Photo & Text 池田匡克 Masakatsu IKEDA

※こちらの記事は2015年11月20日発行『メトロミニッツ』No.157に掲載された情報です。

更新: 2017年4月20日

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