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TOKYO ELITE RESTAURANT|世界に自慢したいシェフ

|アイデンティティのあるイタリア料理のシェフ[10]|
東京のイタリア料理の変遷に見る
時代を切り開いた立役者たち
ー1990年代ー

日本のイタリア料理のはじまりは明治時代まで遡ることはできますが、 大きく動き始めたのは、まだここ30年くらいでしょう。月日としては浅いかも知れません。でもそれは、 おいしいイタリア料理を私たちに伝えようとしてくれたシェフたちの熱くて濃い情熱の歴史でもあります。そんな歴史を イタリアの食文化に精通する河合寛子さんと土田美登世さんに振り返っていただきます。

|1990年代|ティラミスとイタめしブームで人気の定着

80年代からの流れを受けて、90年代は加速度的に「イタリア化」が進みます。世はまさに百花繚乱の時代。リストランテやトラットリアといったレストランのオープンラッシュに加えて、バール、ピッツェリア(ピッツァ専門店)、ジェラテリア(アイスクリーム専門店)などイタリア食文化を形成するさまざまな業態が次々と上陸し、一大イタリアブームを巻き起こします。まずは、オープンラッシュとなったレストランの変化に触れなければなりません。80年代の料理が、もっぱら「本場イタリアの味をいかに再現するか、近付けるか」にしのぎを削っていたのに対し、90年代はイタリアの味のベースに「和」の要素を盛り込む傾向が芽生えてきます。

例えば、日本独特の素材や調味料、また和食の技法を取り入れることであり、日本人の味覚や感性を料理に注ぐことでもありました。これらは「素材を生かしたイタリア料理」というコンセプトとリンクして90年代の主流になっていきます。魚料理であれ、肉料理であれ、また野菜料理であれ、素材の持つ味や香りを最大限に生かしたシンプルな味わいこそがイタリア料理の醍醐味、という考え方です。イタリア本国にはない、あるいは使われない魚介や野菜でも、日本の身近に逸品があるのなら使わない手はないという意識の変化が生まれ、日本で作るイタリア料理の意味があるという考え方が台頭してきました。

90年代に登場した魚料理「アクアパッツァ」はその代表例と言ってもいいでしょう。ナポリの簡素な漁師料理であった小魚の蒸し煮料理を、自身のレストランの店名にまでした日髙良実さんが、日本という土地柄を生かし、日本人の感性で手を加え、完成させた逸品です。良質な日本近海の白身魚を骨付き、頭付きの一尾まるごとで使い、香ばしく焼いてから蒸し煮にするテクニックや、ハマグリの旨み、セミドライに凝縮させたトマトのコクを加える味の構成は日高さんのアレンジで、素朴な漁師料理が完成度の高いリストランテ料理に飛躍しました。

また、「アロマフレスカ」の原田慎次さんは「自由な素材使い」でイタリア料理界に旋風を巻き起こした1人。献立にはアユ、ズワイガニ、タラバガニ、アマダイ、ホタルイカ、シラコといった日本独特の魚介をはじめ、タケノコ、山菜、穂ジソ等の薬味野菜も日常的に使われ、唯一無二のイタリア料理を作り続けています。

さて、90年代のイタリア料理の急伸には、少なからずバブル崩壊の影響があります。高級フランス料理店が撤退を余儀なくされ、それに取って代わってイタリア料理がもてはやされるようになったからです。高級路線が主流だったフランス料理に対し、イタリア料理はイメージ的な気軽さも受けて幅広い客層から支持を得るようになっていました。フランス料理が常識だったホテルのメインダイニングに、イタリア料理店が導入された「ビーチェ」(元・フォーシーズンズホテル椿山荘)の例は典型の事例です。また、当時二ツ星で「ワインの殿堂」とも称されたフィレンツェの「エノテーカ・ピンキオーリ」が東京に進出するなど、イタリア料理業界が華々しく活気づいた時代でもありました。一方、庶民の味の代表であるピッツァに新しい波が起きたのも90年代。ナポリピッツァの登場です。

その昔、アメリカ経由で入ってきた薄く大判のピッツァ(当時の主流の呼称は「ピザ」)はすでに大人気を博し、定着していたわけですが、これをイタリアの本場のピッツァと信じて疑わなかった日本人は多かったことでしょう。そこに、正真正銘、本場ナポリのピッツァが参上したわけです。厚くてふわりとした生地に、フレッシュトマト、モッツァレッラ、バジリコで3色のイタリアンカラーを配した「マルゲリータ」。トマトソースにニンニク、オレガノを散らした「マリナーラ」の2つがナポリピッツァの王道であることもわかってきました。後年、ナポリのピッツァ協会メンバーが日本に乗り込み、日本のナポリピッツァを品評する雑誌企画がありましたが、多くの店がイタリア人審査員をうならせる結果となり、ピッツァ分野でも日本人の技術の高さが証明されたものです。

日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。イタリア料理店はもちろん、フランス料理店、フランス菓子店でも商品化された他、クッキーや飴などにも「ティラミス風味」が拡大したほど。マスカルポーネという北イタリア特産のクリームチーズとフィンガービスケットやエスプレッソを組み合わせたこのドルチェは、フランスやアメリカをも巻き込んでの世界的なブームとなったものです。「私を元気にして」を意味する「ティラミス」の言葉の響きが受けたなどというヒットの理由もあるようですが、少なくとも、日本では菓子も料理も含めたイタリアの食文化が日本全国、津々浦々にまで広がることに貢献したと言ってもいいでしょう。「魚介のマリネ」が「カルパッチョ」に名前を変え、「アイスクリーム」が「ジェラート」になり、「カフェオレ」が「ラテ(正しくはカフェラッテ)」と呼ばれることが日常的になるなど、いろいろな局面でイタリアの食文化が根付いていきます。90年代以降「イタメシ」の言葉が定着したのも、庶民の身近にあって親しまれる存在になった証です。(河合)

河合寛子/土田美登世

フードエディター&ライター 河合寛子/土田美登世

【著者】プロフィール

■河合寛子/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」編集長時代には1980年代から90年代にかけての大イタリア料理ブームをプロの視点から取材してきた。確かな知識で書かれる原稿にシェフたちの信頼も厚い。イタリア料理の編書多数。

■土田美登世/「専門料理」「料理王国」編集部を経てフリーランスのフードエディター&ライター。「専門料理」では河合氏の部下。ともに「料理王国」創刊メンバー。『日本イタリア料理事始め堀川春子の90年』(小学校・刊)をまとめ、日本のイタリア料理の歴史を追った。

Text:河合寛子

※こちらの記事は2015年11月20日発行『メトロミニッツ』No.157に掲載された情報です。

更新: 2016年12月3日

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